特養退居


昨日は一日中寝て過ごしてしまった。
それが、寝ても寝ても寝られるもんで。
まぁ、それはそれで仕方ないかな。
ただ、家の中が乱れ続けてる・・・


母の所へ行かなきゃって考えなくていいんだって
考えることがちょっとしんどいっていう感じ。




さて、入院中から引っかかっていた特養のこと。
特養には2年と1か月間お世話になりました。

一言で言い表すなら


なんだかなぁ・・・


です。




母が亡くなった日の午後、
とりあえず施設に電話して、
今は施設長兼任となっているケアマネを呼び出して
亡くなったことを伝えました。


スッゴイびっくりした様子でした。
・・・いやいや、その前に相談員にちゃんと長くないこと
伝えたはずでしょうに、今さらそんな驚かれても困る、でした。

亡くなった日をもって、施設での費用はかからなくなるようでした。



母の荷物は、チェストとポータブルトイレ、ハンガーラック。
あと、車椅子とセンサーマット。

葬儀の翌日の金曜日、手続きやら段取りの為に
施設に行きました。

もうすでに次の入居者の準備が始まっているようで
荷物はホールの端に出されていました。


入居の時にオーダーミスをしたカーテンも私物でした。
カーテンの洗濯は各自となっていたので
今回の入院の時に外して家で洗ってました。
丈が長かったので、修正しようかななんて悩みながら
結局・・・もう一度カーテンをつるすことはありませんでした。


衣類はその日に全部持って帰って
その他のチェストなどは、市の回収を手配しておけば
当日スタッフが運びだしてくれるということでした。


車椅子は使いたい友人がいるので持ち帰り
残ったのが、センサーマット。
こればっかりはどうにもなんないし。
とりあえずどこか下取りしてくれないか探してもらうことにして
帰宅しました。


それから市の粗大ごみ回収の申し込みをしたら
週明けの月曜日に回収してくれるとのこと。
そうなると土日をはさむので、今日中にシールとか
用意しておいた方がよさそうなので
結局・・・退居の書類やら全部揃えて
再び施設へ。


窓口でやり取りすべて終えて、
メンドクサイからもうセンサーマットも寄付することにして…
そしたらすべての手続きが終わって
あっけなく特養退居終了。


最後に窓口に行ったときにも、相談員とか
奥で研修中だとかで出て来なくて、
ケアマネに至っては最後に会ったのはいつだったか。


母がもう戻ることはないと相談に行った時も
奥で研修中だったなぁ。
家族の話聞かずに何が研修なんだか。


ユニットリーダーにも会ったけれど
私が、お世話になりましたと挨拶しても
はぁ・・・・みたいな。
こういう時の言葉こそ研修しとけばいいのにね。
若いお嬢さんだから、経験も浅いってことでしょう・・・けど、
プロなんだからさ。


多分家族としての私は、それほど多くの事を
施設に望んでいたわけではないと思うけど、

特養ってこんなもんなのかな…なんだかなぁ

っていうのがすべてに対しての気持ち。


お世話になったことに対して
もちろん感謝もしているけれど、
それは対価として
介護保険と自己負担で支払ってきたもので
充分な範囲かな・・・みたいな。

何か大事なものが足りなかったような。


うまく書けないけれど、
もっと切り込んでいけないのは
やっぱり在宅をやめて特養でみてもらったっていう
負い目を少なからず感じてるからでしょうね。


そんな気持ちもこの記事で整理してしまいます。



ただうちみたいに認知症で特養に入居される時、
デイサービスで受けていたような刺激は全くなくなる
ってことは理解しとく必要があると思います。

















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# by kissinheaven6002 | 2017-06-18 12:55 | ひとりごと。 | Comments(0)

最期のとき その2


あの時から一週間が過ぎました。


もう一週間経ってしまったんだ、という気持ちと
まだ一週間なんだという気持ちが
うまくミックスされている不思議な気持ちです。


こうやって時間が過ぎて
母の所へ行かなくちゃって思ってきた日々のことを忘れて
暮らして行くんでしょうね。



そして6月5日の午前3時過ぎ。


枕元のスマホが鳴って慌てて出たら…
やっぱり切ってしまった。
↑あんまり電話ってかかってこないから
たまの電話は間違ってきってしまうこと多い。


すぐに病院にかけ直したら
守衛室に繋がって、おじさんがでた。



6階の○●○●と言いますが
今そちらから電話を頂いたんですが…



6階の… のざわなさん?



いいえ、 な●○●です。



えっ? 野沢菜さん?



な●○●です!!!!



・・・野沢菜?




の、じゃない、 なっ!!!133.png



何で今、野沢菜なんや
って言うボケを一つはさみながら


ナースステーションに繋がり、
呼吸が弱くなっていて
ご高齢ということもあり…

30分以内には到着しますと言って電話を切った。



次男を起こして送ってもらうことにして、
それがまた、ガソリンがないとかなんとかヒトモメし
兄にも連絡して病院に向かった。


病院に着く前、次男に、病室まで行くか聞いてみたら
やめとくというので次男はそのまま帰した。


最期なんだからと病室に連れていくのが普通なのかな。


私はあんまりパニクッたり、オロオロしない方なんだけれど、
この時も、家にいたのはやっぱり次男だけで
母の姿も次男だけが一番多くみてきたし。


自分でも過去一番パニクったと思うのが
数年前に交差点右折するときに
自転車の人を引っかけてしまった時。
この時も乗っていたのは次男だけ。



憎たらしいヤツだけれど、
母親を見送る自分の母親の姿に
一人で立ち合わせるのは重すぎると思った。



母は病室からナースステーション横の部屋に移っていた。
酸素マスクをつけた母は肌が黄味がかっていた。


4年前に倒れて病院で寝ている母を初めて見た時は
死んでいると思ったのを覚えている。
あの時は土色で苦し気だった。


母は昼間見た時と同じように
薄目をあけて眠っているようだった。
痰の絡んだゴロゴロした感じもない。


看護師さんがモニターの説明をしてくれて、
小さな画面の中に、脈のふれを示す山は一つしかない。
脈拍も20を切っていた。
モニターの音は消してある。


カーテンの向こうにベッドがもう一つ。
認知症の高齢者だろう。
うめき声とか大きな独り言が聞こえる。


最期の時間。
このブログの最初の頃にも書いたと思う。
優しくできなかったこと、
乱暴な介護だったこと、
いつも悪いなと感じながらも、
その時々に謝ってしまったら
ココロが折れてしまうか、卑屈になって
もっともっと乱暴な介護になりそうで
謝るのは最後の一度にしようって
思ってきたから・・・
母の手を握って、至らなかったことを謝った。
それから必ず大阪に連れて帰るからってこと。



30分くらい経った頃、
モニターを見たら、0 になっていた。

きっと音がしてたら、ドラマのように

ピーーーーーー

って鳴ってたのかな。




止まってしまったんですか?

と聞いたら、



息はされていません

と。


この数日、最期の様子を知りたくていろんなブログを読んだ。
下顎呼吸とか、手足の変色とか。
当てはまることは一つもなかった。
手足は冷たかったけれど、肌が黄味がかっていたこと以外
母は眠るように、いや眠ったままいってしまったよう。



看護師さんは続けて、

このまま兄の到着を待つか、
医師から死亡宣告を受けるか
どうなさいますか?

と。
私が病室に着いてからずっと
看護師が一人後ろに立って見守っていて
兄の到着を待つと言ったら
やっぱりこのまま一緒に待っているのかしら?
なんてことも気になったりするし、
どうしたもんかと迷ったけれど、
先に進めることにした。


しばらくして医師がきて
死亡時刻は4時32分。


すぐ看護師さんたちの処置が始まって、


こんな痛い点滴はすぐ外しましょうね、

と足の点滴針を外してくれた。
反対の足の同じような場所も紫色のあとが残っていた。



そこから私は部屋の外にでて、
病室に残った少しの荷物をまとめて
控室で待った。



葬儀のことも兄と相談済だったし、
すぐに連絡するべき人もいないし、
ただ誰かに母がいってしまったと聞いてほしくて
スマホからこの時に記事を投稿した。




気づいたら朝の陽ざしが差し込んでいて
病棟が明るくなっていた。
夜の真っ暗な病棟は寂しいけれど
朝の陽ざしはいいなぁ。





明日はきっと晴れる。
ほら、晴れたでしょ?


この世での修行を終え、
老いや病、レビーから解放された母が
そう言ってるようでした。














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# by kissinheaven6002 | 2017-06-13 10:11 | ひとりごと。 | Comments(0)

最期のとき


今日は何の予定もなく、ダラァ~っとしています。
朝のコーヒー、母の分もいれてみました。
この家で何回母にコーヒーいれてあげたんだろう。
きっと数えるほどじゃないのかな。
何で毎日いれてあげられなかったのか?
いや、できなかったからやれなかったんだと思う。



入院している母のことを最後に記事にしたのは6月2日。
それも病院に行く前に書いてた。
その前1週間ほどはあまり変わりなかった。


5月31日
兄と病院に行った。
母は超熟睡しているようで、なんとなく寝顔をみながら待っていると
しばらくして目を開けた。


入院直後の痰の検査で、何とかっていうウイルスが見つかったようで、
そのウイルス自体は健康な人からも検出されたりする
そんなに問題のないものだけれど、
ここの病院の規定で面会の際には、マスク、手袋、ビニールのエプロンの
装着が義務つけられているようで
面会の度にそれらをつけていた。一見、かなり仰々しいかんじ。
隣のベッドの方とか、いやだったろうな。


で、そのエプロンが濃いピンク色で、
私がベッド横に貼り付いてたら、母はそのエプロンを引っ張って
くちゃくちゃいじり始めたりしていた。


その日は兄のエプロンをクチャクチャ引っ張って、
それがまた結構強い力だった。



この日の面会は一時間超えていた。



6月1日
前日、まだまだ力もありそうだったので面会はお休み。
長丁場に備えて、っていう気持ちもあった。



6月2日
ブログを書いてから病院へ。
母は目覚めていた。やっぱり手だけがウロウロ動いていた。
隣に座って顔を覗かせてたら、
母の手が私の顔にのびてきて、そっと前髪をなぞってくれた。
物凄くビックリしてドキドキしたけれど、わかった。
薄い色のサングラスを頭にのっけてたから、それに手を伸ばした様子。

パワーストーンのブレスレットとか
綺麗な色のもの、よく見えていたみたい。

何となく話かけたりしているうちに
母はまた眠ってしまった。
でもとても穏やかな様子。



ただ私が気になったのは、吸引された痰に血が混じっていた。
痰はベッド頭上横に取り付けられた透明容器に溜まっている。
多分、1リットル溜まると交換されるんだと思う。
入院後2,3日は血が混じっているようで
その後は白くなっていた。
それ以来、初めてまた血が混じってた。



6月3日
この日はママ友とのランチを優先。
同い年のママ友は、7月に息子が結婚、そしておばあちゃんになるという話。
私は母をおくる話。
今の私たちの世代はそういう命の流れのど真ん中にいるんだっていう実感。



6月4日
兄家族とひ孫くんとともに面会。

母は薄目をあけて眠っていた。
ひ孫くんが呼びかけてくれたり、まわりのワイワイが聴こえたのか
少し目を開いたので、起きたのかな。
その後順番にいろいろ声をかけたけれど反応はなかった。

なので今から思うと、意識レベルがかなり低下していたんだろうな。

今までなら返事はなくとも、目がピッと動いて反応したり
時には、

は…い…

なんて返事もしてくれていた。


それでも手は布団の中で少し動いていた。
あと、少し痰の絡みがいつもより気になった。
義姉などはビックリして、すぐに看護師を呼んで! なんて
言ってたけれど。


病院を出たのは午後3時くらいだったと思う。







そして6月5日
午前3時すぎ。病院から電話がかかってきた。






長くなるので一度ここで終わります。














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# by kissinheaven6002 | 2017-06-10 12:33 | ひとりごと。 | Comments(0)