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かずちゃんの話 16


金曜日に介護認定が出たことを埼玉の包括センターに連絡して、

月曜日にはケアマネと介護用品のレンタル会社の人を連れて

うちに来る約束になっていた。


大阪のIさんの働きかけもあり、
なんとかケアマネを決めてくれていたようだった。


ケアマネさんて何を基準に選ぶのか?
わたしには時間がなかったから何人かの人と直接会って、なんてことも省略してしまったけれど、
ちょっと会って話て、よっぽどジャない限り、この人はNO!なんて
言えないと思うけれど。


とにかく、もう風邪引きでなかばぶっ倒れてる状態で埼玉に帰って、
その日はもう駄目かもしれない、と思いながらも寝続けたら、
やっぱり次の日復活していた。

やっと、かずちゃんを迎えるってことが現実となってきて
ようやく部屋を片付けた。

私が使っていた6畳和室は何もない状態にした。


月曜日、ベッド、車椅子、トイレの手すり、突っ張り式柱、なんかを
レンタルすることにした。
細かいこと聞かれたって、わかんないし。


介護保険を使って何かをするとき、とにかくいちいち契約をかわす。
役所でもこういう時でも、どんだけかずちゃんの名前をかいたろう。

勢い余って自分の名前を書いたり、ふりがなが自分のになりかけたり、
もう一体自分の苗字さえ怪しくなってきてた・・・


レンタルしたものはその週の土曜日に搬入してくれることになった。
しかしホントは、この時点でかずちゃんはまだ埼玉の人ではないから
まえもって、という契約はできないらしい。
そこをお試し期間とかでごまかしてくれた。


そして、しっかりしてんだか大雑把なんだか結局かなり怪しかった
包括センターの方とも、ケアマネが決まった時点で関係がなくなった。


あと、何か足りないのかもしれないけれど、もうそこまでは考えがまわらない。
でもようやく先が見えてきて、もう一頑張りだという元気がでてきてた。
火曜日、また大阪に戻った。


土日には兄がかずちゃんのそばにいてくれたし、
かずちゃんのせん妄状態は随分なくなってきていた。
日中は、自分が食いっパグレナイよう、食料を買い込んで
ひたすらベッドの横に座っていた。
かずちゃんは私の介助付で病室内のトイレまで歩いて行った。

夜8時頃、かずちゃんが寝付くと実家に帰り最後の片付けをした。
実家の地域、可燃粗大ごみとか言って、まずまず大抵のものは普通に捨てられた。
夜な夜な、ごみ置き場にいろんなものを運びいれた。


実家にすでにテーブル類はなく、床の上でコンビニ弁当にビール。
家具なんにもなくて、20数年間の汚れだけが目立ってた。
この家でこんな最後がくるとは想像もしていなかったな。


それでも、あともう少しだ!っていうことだけで
わたしは頑張れてた・・・のに、最後にちょっとした小競り合いがおきた。


病院に退院の日取りを聞いたら、病院としたらホントできるだけ早く!という
状態だったらしく、やっぱり追い出されずにここにおいていただいててのね、
と最後に実感した。


そうそう、帰る手はずの話。
当初は、車に非常に弱いかずちゃんだから思い切って新幹線で、と考えたけど、
せん妄状態になるのを恐れて、兄運転の車で帰ることにした。
兄が千葉から自分の車で来る事も考えたけれど、その時絶対にかずちゃんが
移動できるとは限らない。なので、レンタカーを大阪で借りて千葉で乗り捨てる
という形にした。料金は倍ほどになるけど。


兄は月曜日、仕事休めないと言ってたので、火曜日か水曜日ということになる。
ところが、兄が木曜日にして欲しいと。


大概のことなら応じるけれど、今回のこのたった1日2日がどうしても
譲れなかった。兄もよっぽど大事な会議があるらしかったけれど、
でも、あと少し!のがんばりに延長はなかった。


仕方なく木曜日を受け入れたけれど、いろんな事が後手にわまって
苦労した今回のかずちゃん騒動。やっぱり一日遅かったってことに
ならないのを祈るって最後にメールしたら、それが効いたらしく、
兄が水曜日に調整してくれた・・・・できるんじゃん。



金曜日、きっとのぼり新幹線はこれが最後だ。
次にくるときはかずちゃんと帰るときだから。


週末、兄がまた大阪に行って、最後の引越しの打ち合わせをしてくれた。












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by kissinheaven6002 | 2013-07-19 20:17 | ははのこと