最期のとき その2


あの時から一週間が過ぎました。


もう一週間経ってしまったんだ、という気持ちと
まだ一週間なんだという気持ちが
うまくミックスされている不思議な気持ちです。


こうやって時間が過ぎて
母の所へ行かなくちゃって思ってきた日々のことを忘れて
暮らして行くんでしょうね。



そして6月5日の午前3時過ぎ。


枕元のスマホが鳴って慌てて出たら…
やっぱり切ってしまった。
↑あんまり電話ってかかってこないから
たまの電話は間違ってきってしまうこと多い。


すぐに病院にかけ直したら
守衛室に繋がって、おじさんがでた。



6階の○●○●と言いますが
今そちらから電話を頂いたんですが…



6階の… のざわなさん?



いいえ、 な●○●です。



えっ? 野沢菜さん?



な●○●です!!!!



・・・野沢菜?




の、じゃない、 なっ!!!133.png



何で今、野沢菜なんや
って言うボケを一つはさみながら


ナースステーションに繋がり、
呼吸が弱くなっていて
ご高齢ということもあり…

30分以内には到着しますと言って電話を切った。



次男を起こして送ってもらうことにして、
それがまた、ガソリンがないとかなんとかヒトモメし
兄にも連絡して病院に向かった。


病院に着く前、次男に、病室まで行くか聞いてみたら
やめとくというので次男はそのまま帰した。


最期なんだからと病室に連れていくのが普通なのかな。


私はあんまりパニクッたり、オロオロしない方なんだけれど、
この時も、家にいたのはやっぱり次男だけで
母の姿も次男だけが一番多くみてきたし。


自分でも過去一番パニクったと思うのが
数年前に交差点右折するときに
自転車の人を引っかけてしまった時。
この時も乗っていたのは次男だけ。



憎たらしいヤツだけれど、
母親を見送る自分の母親の姿に
一人で立ち合わせるのは重すぎると思った。



母は病室からナースステーション横の部屋に移っていた。
酸素マスクをつけた母は肌が黄味がかっていた。


4年前に倒れて病院で寝ている母を初めて見た時は
死んでいると思ったのを覚えている。
あの時は土色で苦し気だった。


母は昼間見た時と同じように
薄目をあけて眠っているようだった。
痰の絡んだゴロゴロした感じもない。


看護師さんがモニターの説明をしてくれて、
小さな画面の中に、脈のふれを示す山は一つしかない。
脈拍も20を切っていた。
モニターの音は消してある。


カーテンの向こうにベッドがもう一つ。
認知症の高齢者だろう。
うめき声とか大きな独り言が聞こえる。


最期の時間。
このブログの最初の頃にも書いたと思う。
優しくできなかったこと、
乱暴な介護だったこと、
いつも悪いなと感じながらも、
その時々に謝ってしまったら
ココロが折れてしまうか、卑屈になって
もっともっと乱暴な介護になりそうで
謝るのは最後の一度にしようって
思ってきたから・・・
母の手を握って、至らなかったことを謝った。
それから必ず大阪に連れて帰るからってこと。



30分くらい経った頃、
モニターを見たら、0 になっていた。

きっと音がしてたら、ドラマのように

ピーーーーーー

って鳴ってたのかな。




止まってしまったんですか?

と聞いたら、



息はされていません

と。


この数日、最期の様子を知りたくていろんなブログを読んだ。
下顎呼吸とか、手足の変色とか。
当てはまることは一つもなかった。
手足は冷たかったけれど、肌が黄味がかっていたこと以外
母は眠るように、いや眠ったままいってしまったよう。



看護師さんは続けて、

このまま兄の到着を待つか、
医師から死亡宣告を受けるか
どうなさいますか?

と。
私が病室に着いてからずっと
看護師が一人後ろに立って見守っていて
兄の到着を待つと言ったら
やっぱりこのまま一緒に待っているのかしら?
なんてことも気になったりするし、
どうしたもんかと迷ったけれど、
先に進めることにした。


しばらくして医師がきて
死亡時刻は4時32分。


すぐ看護師さんたちの処置が始まって、


こんな痛い点滴はすぐ外しましょうね、

と足の点滴針を外してくれた。
反対の足の同じような場所も紫色のあとが残っていた。



そこから私は部屋の外にでて、
病室に残った少しの荷物をまとめて
控室で待った。



葬儀のことも兄と相談済だったし、
すぐに連絡するべき人もいないし、
ただ誰かに母がいってしまったと聞いてほしくて
スマホからこの時に記事を投稿した。




気づいたら朝の陽ざしが差し込んでいて
病棟が明るくなっていた。
夜の真っ暗な病棟は寂しいけれど
朝の陽ざしはいいなぁ。





明日はきっと晴れる。
ほら、晴れたでしょ?


この世での修行を終え、
老いや病、レビーから解放された母が
そう言ってるようでした。














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by kissinheaven6002 | 2017-06-13 10:11 | ひとりごと。 | Comments(0)