カテゴリ:ひとりごと。( 360 )

介護の終点


週末、母の納骨と四十九日の法要を終えました。


無事に母を大阪に連れて帰ることができました。


大阪に戻ることが介護の終点だと思ってきました…




当日は物凄く暑くて、立っているだけで
汗が流れ落ちてました。
そんな中、葬儀には参列できなかった
母の昔からのお友達やその家族が
集まってくれました。



大きな本堂のとなりの広間で法要していただき、
その後本堂の下にある納骨堂へおさめられました。


納骨堂の扉は本堂の真横にあり
重厚な扉が開けられ、
私たちはそこで見守りました。


始まる前に骨壺から小さな木箱に親族の手で移し替え
その小さな木箱をお坊様が持ち、

それでは納骨させていただきます


みたいな言葉のあと、
扉の奥にある金箔の施された部屋の
その奥にある階段を静かに下りて行かれました。


その時の情景を思い浮かべると…なんだか涙があふれてきて困ってます。


御本尊様の下、それはとてもとても安らかな場所であるようで
まるで、母がその母の胎内に戻って行ったような・・・
そんな風に感じました。


再び姿を現したお坊様の手にはもう何もなく、
また重厚な扉が静かに閉められました。




安らかに。
あ~~~ おわりました。













[PR]

by kissinheaven6002 | 2017-07-26 11:11 | ひとりごと。 | Comments(0)

あの人は今…


すみれさん。
母の4歳上のお姉さん。
今月、91歳になります。


母がこちらに来て以来、
同じ内容の電話が度々かかってきていたけれど、
今年に入り、何故か母は一人で、
父の故郷である鹿児島に行ってしまったという設定になり
それ以降うちにはあまり電話がかかってこなくなった。


母が亡くなった時も満場一致で
すみれさんには伝えなかった。

あともう一人、父の弟にも
その娘、わたしの従妹の意向で伝えなかった。
こちらもやや認知症が始まっている。


80歳を超えていても、
やっぱり認知症のない方には
辛いけれど伝えられた。


すみれさんのことも、
妹との最期のお別れができないなんて
なんとも切なすぎるけれど・・・
その時のその感情に振り回されては
その後の主介護者である従姉の苦労は計り知れない。
それでなくとも、

90歳になる私をいつまでこんなところに入れとく気だっ!!!!

と言って毎夜電話があるらしい。



前にも書いていると思うけれど
すみれさんの人生はやっぱり少し変わっていて
今なら多分 LDだとかそう言った診断がでるだろうと思っている。

とにかくお金の計算ができなくて
その上財布というものをもっていなかった。

容姿も、短髪で細身。スカート姿は見たことはない。
なのでいつもズボンのポケットにお金を入れていて
そこからおこづかいを取り出してくれていた。
誰かの為にお金を使うことも全く厭わなかった…
けれど、今となっては退職金がどこに行ってしまったのか
わからなくて、従姉も困っている。
信頼できる友人に預けてしまっているらしく
それが見つからない。

母も言っていた、純心で本当にイイ人なのだけれど、
常にその身の回りの世話をする誰かを必要としていた。
そしてまたそういう人に恵まれた人生だった。


私が20歳を過ぎた頃から両親とすみれさんと私とで
暮らすようになった。
すみれさんは何があろうと自分の生活リズムを崩すことは
絶対になかった。


ダスキンのモップ同じのが当時2個あった。
父は父でA型の几帳面タイプだったのだけど、
父が汚いところを掃除してモップが汚れる!っていう
???なすみれさんの愚痴回避のために
母が二つレンタルしたのだった。


その時に私はすみれさんの実態に結構苦労?不満があり
よく食ってかかったりしていたので
多分すみれさんは今も私がコワいはず。
一方、とても面倒見のいいすみれさん!と
ずーーーーっと思ってきた従姉は今散々苦労している様子。


納骨で帰阪する際、すみれさんに会いに行くと従姉に伝えたら、
実は、すみれさんの誕生日で悩んでいると。
誕生日会をしても翌日には忘れてしまい
また文句を言われるだけだし・・・
でも何もしないのも悪い気がするし、と。


忘れられてもエエやん?
とりあえずその時その場所では喜んでくれたら
それだけで、誕生日会やったって自己満足できるやん?
みんなでやって、一緒にビールのもうよ!

って言ったら従姉がとっても喜んでくれて。
介護してる人にしかわからんな、と。


すみれさんから見て、甥姪は9人。
一番年長だった甥が亡くなってしまっているので
その次にくるのが、その従姉。
だからと言ってその従姉だけに負担かけるのもおかしいのだけれど。


すみれさん。昔から自分の健康のことだけを考えていた。
じゃこだのとろろ昆布だの、自分用のがイッパイあって
母が揚げた揚げ物の衣は全部、はがして残していたし。
その甲斐あってか今も自前の歯で
バリバリ噛んで元気らしい。
でも、アルツなので一人では外に出せない・・・
せっかく他は元気なのに。


そんなこんななすみれさんにも会ってきます。


父が闘病中にも、父とすみれさんの板挟みになってた母。
すみれさんの心無い言葉に、心底から腹が立っていたことも多かった。


でもね、やっぱり母の川柳ノートに見つけてね・・・




亡母のこと話せる姉が側にいる




自分の母のことを思い、そしてその思いを側にいる姉に打ち明ける。
少し衝撃を受けた一句でした。
当たり前なんだけれど、母も・・・娘だったんです。
そして、妹だったんです。



私の事、お姉ちゃん って呼んでたもんな。

今頃、

あんたのこと、お姉ちゃんって呼んで悪かったな

って謝ってるかもしれない。
お互い様だね。



















[PR]

by kissinheaven6002 | 2017-07-10 18:49 | ひとりごと。 | Comments(0)

頑張れ!!!


海老蔵さんのブログを読むと、
その中の一言に引っかかって、突然涙が噴出しそうになります。


海老蔵さんがブログ更新多すぎる、なんて批判?の声があるとか。
普段、世間の出来事に超クールな反応の長男が、

そりゃつぶやかずにはいられないだろうよ~

と。
乱暴な言葉なのかもしれないけれど、
海老蔵さんの気持ちを少しでもわかっている長男でよかった。


誰かが自分の気持ちを聞いてくれている、
それだけで、ほんの少しの癒しになっているはず。


まおさん最期に

愛してる

と言ったとか。最期の瞬間まで生きていらっしゃったんだと。
変な言い方ですけれどね。
母なんかは、死んでいってる時間が長かったんだと思います。


海老蔵!!!! とにかく、


頑張れ!!!!!


頑張ってるのはよくわかる。
だけどしばらく、とにかく


頑張れ!!!!


って、ブログ読むたびに思っています。






さて、私はというと、
ようやく四十九日の日程が決まりました。
というより、納骨の日取り。つまり母を大阪に連れて帰る日。


母が入院中、兄が来たとき、
あれは葬儀場を巡った時だったな。
頭の中大混乱になったので、兄に休憩しようと
近くにあったコメダに行った。

ちょっと休憩しよか?

とコーヒーに誘うのは
兄にとってとっても母っぽいことだったらしい。
それから兄が来る度にコメダに行った。
60近い兄妹で、シロノワール、分けっこです…
そこで、

みんなで大阪に帰ろう

って話をしてた。
大阪から母を連れて来た時は兄と私、2人だけだったから。



しかし息子たちも社会人とかで、日程調整はかなり難しいし…
あんまり大きな声では言えないけれど、言ってしまおう!

・・・義姉が・・・いろいろ・・・ウルサイワイ!




でもとにかく、日程が決まり
母を生まれ育った大阪に戻すことができます。




多趣味だった母の晩年は川柳でした。
たくさんのノートが出て来て、未完成のもの、
題材としてのメモが残されました。


その中の一句に、



逝き先は 南御堂と 決めている



という句がありました。
南御堂とは、父も納骨してある
大阪の御堂筋にある寺院です。
とても賑やかなところにありながら広く静かな寺院です。


その句のとおり、
母をそこに連れて帰ろうと思っています。
そこまでが、介護というのか…私の任務?かな。



母の句に、
返してみました。



梅雨明けに また故郷(くに)となる 御堂筋







私もやっぱり大阪人。
両親が眠るところが故郷ですよね。













[PR]

by kissinheaven6002 | 2017-06-29 20:01 | ひとりごと。 | Comments(0)

特養退居


昨日は一日中寝て過ごしてしまった。
それが、寝ても寝ても寝られるもんで。
まぁ、それはそれで仕方ないかな。
ただ、家の中が乱れ続けてる・・・


母の所へ行かなきゃって考えなくていいんだって
考えることがちょっとしんどいっていう感じ。




さて、入院中から引っかかっていた特養のこと。
特養には2年と1か月間お世話になりました。

一言で言い表すなら


なんだかなぁ・・・


です。




母が亡くなった日の午後、
とりあえず施設に電話して、
今は施設長兼任となっているケアマネを呼び出して
亡くなったことを伝えました。


スッゴイびっくりした様子でした。
・・・いやいや、その前に相談員にちゃんと長くないこと
伝えたはずでしょうに、今さらそんな驚かれても困る、でした。

亡くなった日をもって、施設での費用はかからなくなるようでした。



母の荷物は、チェストとポータブルトイレ、ハンガーラック。
あと、車椅子とセンサーマット。

葬儀の翌日の金曜日、手続きやら段取りの為に
施設に行きました。

もうすでに次の入居者の準備が始まっているようで
荷物はホールの端に出されていました。


入居の時にオーダーミスをしたカーテンも私物でした。
カーテンの洗濯は各自となっていたので
今回の入院の時に外して家で洗ってました。
丈が長かったので、修正しようかななんて悩みながら
結局・・・もう一度カーテンをつるすことはありませんでした。


衣類はその日に全部持って帰って
その他のチェストなどは、市の回収を手配しておけば
当日スタッフが運びだしてくれるということでした。


車椅子は使いたい友人がいるので持ち帰り
残ったのが、センサーマット。
こればっかりはどうにもなんないし。
とりあえずどこか下取りしてくれないか探してもらうことにして
帰宅しました。


それから市の粗大ごみ回収の申し込みをしたら
週明けの月曜日に回収してくれるとのこと。
そうなると土日をはさむので、今日中にシールとか
用意しておいた方がよさそうなので
結局・・・退居の書類やら全部揃えて
再び施設へ。


窓口でやり取りすべて終えて、
メンドクサイからもうセンサーマットも寄付することにして…
そしたらすべての手続きが終わって
あっけなく特養退居終了。


最後に窓口に行ったときにも、相談員とか
奥で研修中だとかで出て来なくて、
ケアマネに至っては最後に会ったのはいつだったか。


母がもう戻ることはないと相談に行った時も
奥で研修中だったなぁ。
家族の話聞かずに何が研修なんだか。


ユニットリーダーにも会ったけれど
私が、お世話になりましたと挨拶しても
はぁ・・・・みたいな。
こういう時の言葉こそ研修しとけばいいのにね。
若いお嬢さんだから、経験も浅いってことでしょう・・・けど、
プロなんだからさ。


多分家族としての私は、それほど多くの事を
施設に望んでいたわけではないと思うけど、

特養ってこんなもんなのかな…なんだかなぁ

っていうのがすべてに対しての気持ち。


お世話になったことに対して
もちろん感謝もしているけれど、
それは対価として
介護保険と自己負担で支払ってきたもので
充分な範囲かな・・・みたいな。

何か大事なものが足りなかったような。


うまく書けないけれど、
もっと切り込んでいけないのは
やっぱり在宅をやめて特養でみてもらったっていう
負い目を少なからず感じてるからでしょうね。


そんな気持ちもこの記事で整理してしまいます。



ただうちみたいに認知症で特養に入居される時、
デイサービスで受けていたような刺激は全くなくなる
ってことは理解しとく必要があると思います。

















[PR]

by kissinheaven6002 | 2017-06-18 12:55 | ひとりごと。 | Comments(0)

最期のとき その2


あの時から一週間が過ぎました。


もう一週間経ってしまったんだ、という気持ちと
まだ一週間なんだという気持ちが
うまくミックスされている不思議な気持ちです。


こうやって時間が過ぎて
母の所へ行かなくちゃって思ってきた日々のことを忘れて
暮らして行くんでしょうね。



そして6月5日の午前3時過ぎ。


枕元のスマホが鳴って慌てて出たら…
やっぱり切ってしまった。
↑あんまり電話ってかかってこないから
たまの電話は間違ってきってしまうこと多い。


すぐに病院にかけ直したら
守衛室に繋がって、おじさんがでた。



6階の○●○●と言いますが
今そちらから電話を頂いたんですが…



6階の… のざわなさん?



いいえ、 な●○●です。



えっ? 野沢菜さん?



な●○●です!!!!



・・・野沢菜?




の、じゃない、 なっ!!!133.png



何で今、野沢菜なんや
って言うボケを一つはさみながら


ナースステーションに繋がり、
呼吸が弱くなっていて
ご高齢ということもあり…

30分以内には到着しますと言って電話を切った。



次男を起こして送ってもらうことにして、
それがまた、ガソリンがないとかなんとかヒトモメし
兄にも連絡して病院に向かった。


病院に着く前、次男に、病室まで行くか聞いてみたら
やめとくというので次男はそのまま帰した。


最期なんだからと病室に連れていくのが普通なのかな。


私はあんまりパニクッたり、オロオロしない方なんだけれど、
この時も、家にいたのはやっぱり次男だけで
母の姿も次男だけが一番多くみてきたし。


自分でも過去一番パニクったと思うのが
数年前に交差点右折するときに
自転車の人を引っかけてしまった時。
この時も乗っていたのは次男だけ。



憎たらしいヤツだけれど、
母親を見送る自分の母親の姿に
一人で立ち合わせるのは重すぎると思った。



母は病室からナースステーション横の部屋に移っていた。
酸素マスクをつけた母は肌が黄味がかっていた。


4年前に倒れて病院で寝ている母を初めて見た時は
死んでいると思ったのを覚えている。
あの時は土色で苦し気だった。


母は昼間見た時と同じように
薄目をあけて眠っているようだった。
痰の絡んだゴロゴロした感じもない。


看護師さんがモニターの説明をしてくれて、
小さな画面の中に、脈のふれを示す山は一つしかない。
脈拍も20を切っていた。
モニターの音は消してある。


カーテンの向こうにベッドがもう一つ。
認知症の高齢者だろう。
うめき声とか大きな独り言が聞こえる。


最期の時間。
このブログの最初の頃にも書いたと思う。
優しくできなかったこと、
乱暴な介護だったこと、
いつも悪いなと感じながらも、
その時々に謝ってしまったら
ココロが折れてしまうか、卑屈になって
もっともっと乱暴な介護になりそうで
謝るのは最後の一度にしようって
思ってきたから・・・
母の手を握って、至らなかったことを謝った。
それから必ず大阪に連れて帰るからってこと。



30分くらい経った頃、
モニターを見たら、0 になっていた。

きっと音がしてたら、ドラマのように

ピーーーーーー

って鳴ってたのかな。




止まってしまったんですか?

と聞いたら、



息はされていません

と。


この数日、最期の様子を知りたくていろんなブログを読んだ。
下顎呼吸とか、手足の変色とか。
当てはまることは一つもなかった。
手足は冷たかったけれど、肌が黄味がかっていたこと以外
母は眠るように、いや眠ったままいってしまったよう。



看護師さんは続けて、

このまま兄の到着を待つか、
医師から死亡宣告を受けるか
どうなさいますか?

と。
私が病室に着いてからずっと
看護師が一人後ろに立って見守っていて
兄の到着を待つと言ったら
やっぱりこのまま一緒に待っているのかしら?
なんてことも気になったりするし、
どうしたもんかと迷ったけれど、
先に進めることにした。


しばらくして医師がきて
死亡時刻は4時32分。


すぐ看護師さんたちの処置が始まって、


こんな痛い点滴はすぐ外しましょうね、

と足の点滴針を外してくれた。
反対の足の同じような場所も紫色のあとが残っていた。



そこから私は部屋の外にでて、
病室に残った少しの荷物をまとめて
控室で待った。



葬儀のことも兄と相談済だったし、
すぐに連絡するべき人もいないし、
ただ誰かに母がいってしまったと聞いてほしくて
スマホからこの時に記事を投稿した。




気づいたら朝の陽ざしが差し込んでいて
病棟が明るくなっていた。
夜の真っ暗な病棟は寂しいけれど
朝の陽ざしはいいなぁ。





明日はきっと晴れる。
ほら、晴れたでしょ?


この世での修行を終え、
老いや病、レビーから解放された母が
そう言ってるようでした。














[PR]

by kissinheaven6002 | 2017-06-13 10:11 | ひとりごと。 | Comments(0)

最期のとき


今日は何の予定もなく、ダラァ~っとしています。
朝のコーヒー、母の分もいれてみました。
この家で何回母にコーヒーいれてあげたんだろう。
きっと数えるほどじゃないのかな。
何で毎日いれてあげられなかったのか?
いや、できなかったからやれなかったんだと思う。



入院している母のことを最後に記事にしたのは6月2日。
それも病院に行く前に書いてた。
その前1週間ほどはあまり変わりなかった。


5月31日
兄と病院に行った。
母は超熟睡しているようで、なんとなく寝顔をみながら待っていると
しばらくして目を開けた。


入院直後の痰の検査で、何とかっていうウイルスが見つかったようで、
そのウイルス自体は健康な人からも検出されたりする
そんなに問題のないものだけれど、
ここの病院の規定で面会の際には、マスク、手袋、ビニールのエプロンの
装着が義務つけられているようで
面会の度にそれらをつけていた。一見、かなり仰々しいかんじ。
隣のベッドの方とか、いやだったろうな。


で、そのエプロンが濃いピンク色で、
私がベッド横に貼り付いてたら、母はそのエプロンを引っ張って
くちゃくちゃいじり始めたりしていた。


その日は兄のエプロンをクチャクチャ引っ張って、
それがまた結構強い力だった。



この日の面会は一時間超えていた。



6月1日
前日、まだまだ力もありそうだったので面会はお休み。
長丁場に備えて、っていう気持ちもあった。



6月2日
ブログを書いてから病院へ。
母は目覚めていた。やっぱり手だけがウロウロ動いていた。
隣に座って顔を覗かせてたら、
母の手が私の顔にのびてきて、そっと前髪をなぞってくれた。
物凄くビックリしてドキドキしたけれど、わかった。
薄い色のサングラスを頭にのっけてたから、それに手を伸ばした様子。

パワーストーンのブレスレットとか
綺麗な色のもの、よく見えていたみたい。

何となく話かけたりしているうちに
母はまた眠ってしまった。
でもとても穏やかな様子。



ただ私が気になったのは、吸引された痰に血が混じっていた。
痰はベッド頭上横に取り付けられた透明容器に溜まっている。
多分、1リットル溜まると交換されるんだと思う。
入院後2,3日は血が混じっているようで
その後は白くなっていた。
それ以来、初めてまた血が混じってた。



6月3日
この日はママ友とのランチを優先。
同い年のママ友は、7月に息子が結婚、そしておばあちゃんになるという話。
私は母をおくる話。
今の私たちの世代はそういう命の流れのど真ん中にいるんだっていう実感。



6月4日
兄家族とひ孫くんとともに面会。

母は薄目をあけて眠っていた。
ひ孫くんが呼びかけてくれたり、まわりのワイワイが聴こえたのか
少し目を開いたので、起きたのかな。
その後順番にいろいろ声をかけたけれど反応はなかった。

なので今から思うと、意識レベルがかなり低下していたんだろうな。

今までなら返事はなくとも、目がピッと動いて反応したり
時には、

は…い…

なんて返事もしてくれていた。


それでも手は布団の中で少し動いていた。
あと、少し痰の絡みがいつもより気になった。
義姉などはビックリして、すぐに看護師を呼んで! なんて
言ってたけれど。


病院を出たのは午後3時くらいだったと思う。







そして6月5日
午前3時すぎ。病院から電話がかかってきた。






長くなるので一度ここで終わります。














[PR]

by kissinheaven6002 | 2017-06-10 12:33 | ひとりごと。 | Comments(0)

魂の帰るところ


昨日葬儀を終え、
母を送ることができました。



眠る母の顔。
4年前に母が入院した時から、
どれくらいの時間、母のベッドの隣で過ごしただろう。
どれくらいの時間、母の寝顔を見て来たんだろう。


寝顔をみては、様子を伺い、調子がどうかと観察してきた。
そしてその寝顔には、どんなに苦しそうなときにも
必ず目覚めがあって
明日がやってきた。


あぁ、でももう目覚めることはないんだ、
終わったんだ・・・


そしてこれが、介護は突然終わる ってことなんだ…




お通夜の時から、涙があふれてあふれて。
自分で、葬儀の最後まで大丈夫なんか?と
心配になるほどで。



最後に母の寝顔にお別れをして。
それが私には本当のお別れの時だった気がする。


そして骨となってしまった母と対面したとき、
自分で心配してたのとは全く逆で
もうこの世から解放され、魂の帰るところに
戻っていったんだと思えて、
悲しみとかそういう気持ちが
はれて、涙はもうでなかった。




この感じは、ちょっと不思議でした。
母の長い長い人生の最期、
幕を下ろし、見届け、見送ることができたという
安堵だったのかな。







ところが・・・喪主の兄。
骨となってしまった母を見て
気持ちが切れてしまった、と。
最後の挨拶がなかなかできない状態でした。











お悔みの言葉、
ねぎらいの言葉をいただきまして
ありがとうございました。
このブログを読んで、
そしてそういったお気持ちをいただけることは
本当に有難く嬉しく思いました。
ブログ書いてきてよかったです。

















[PR]

by kissinheaven6002 | 2017-06-09 08:49 | ひとりごと。 | Comments(0)

入院3週間


入院4週目に入りました。


母の容態はそれなりに安定しています。
寝ている時はどんなに声をかけても目がはっきり覚めることはないけれど、
一旦目が覚めると、施設のベッドで寝ている時と変わりがないくらい。

ベッドの柵を揺らしたり、布団カバーを引き上げたり
結構な力です。


点滴も足首あたりから、一日1000mlの維持液を入れているだけで
紙オムツをしています。

ただ・・・口はふさがりません。




そんな母を見ていると、何だかわからなくなってくる。

鼻から栄養入れて下さい

って言えば、施設に戻れるんじゃないの?
そんな簡単なことが・・・延命・・・


いや、迷っているわけではなく、
何とも表現しにくい不思議な感じなんです。


先日、自分の歯の定期健診に行ったら
今痛みはないのだけれど、虫歯が見つかって
治療に時間がかかるだろうっていう診断で。
治療を始めて途中で何かあったら困るなと躊躇して
先送りにしてもらいました。


でも母を見てると、まだ大丈夫そうだから
治療始めるかな?
なんておもって予約入れたりすると
何かが起こるような気もするし・・・

っていう、堂々巡り。


友達から 今月下旬に出かけないかと誘いがあって、
一日だけのことだし、大丈夫だとは思うんだけど、
予定を入れるということに躊躇してしまう。


その友達に状況を伝えたら

一日でも多くお母さんに会いに行って
できるだけの親孝行をしてね

と。
もちろん悪気なんてない、お見舞いの言葉だってわかってます!

が・・・
ちょっと、
ハハハ…←カワイタワライ


毎日行っとるわーーーーーーーー





ていう感じで何もかもが保留先送りとなり、
待機状態です。
待機・・・それでいいのか?っていう自問。




兄も平日なんかもやってきてて、週二では来ています。
↑これがまた自分のペースを乱されてメンドクサイ


それから先日は大阪から従姉が来てくれた。
その時母は眠りモードだったんだけれど、
従姉が、耳元で、

おばちゃーーーーーん!

と何度も声をかけてくれて、
そしたら母も、うんうんと頷いて
きっとわかってたんだと思う。



おばちゃーーん、ガンバってやーーー
おばちゃんが一番、若いねんでーーー




え━━━(゚o゚〃)━━━!!!



確かに、従姉の母97歳、すみれさん91歳。
そして母約87歳。
一番若かった・・・




あとになったらきっと、
あの時もっとこうしてあげればよかったって
思うことがたくさんあるんだろうけれど、
それが何なのかは今の私にはわからなくて。
ただ、その日の母の様子を診察するために、
今日も買い替えたばかりの自転車に乗って
病院へ行ってきます。




ゲリラ豪雨にあいませんように。









[PR]

by kissinheaven6002 | 2017-06-02 13:49 | ひとりごと。 | Comments(0)

のこりの時間


ドクターの話を聞いた日の夜は
流石にあまり眠れなかった。
何度も目が覚めて。
まさにココロがザワザワしてる感じ。



昨日病院からの帰り、施設によってみた。
でも会議中だとかで事務の人以外誰もいなかった。

伝言しておきますって言われて、
伝言レベルの話ではないんだけれど、
とりあえず、
ここに戻ることはできないかもしれないので相談したいと伝えておいた。


今朝、今年度より生活相談員になった、セカオワみたいな兄ちゃんから電話。



昨日お電話いただいた件で~
↑直接出向きましたけど、あたし。

入院が長引くので退去の手続きをということですね?

って、そんなこと言うてるかーーーーーー



先日のドクターとの話でも、お互い直接的明言はやんわり避けての会話でした。
人の命断言なんてできないから。
それがその兄ちゃんには伝わらない。
三が月後にはどこか他へ移るつもりみたいに受け止めてる。


三か月ももたないっていうことです!!!!


その後 施設長兼ケアマネに確認して折り返し連絡すると。
返事としては、退去はあくまでも入居者の意思なので
居住費はかかるけれどそのままで大丈夫だし、
途中で一日でも施設に戻ってくれば
そこからまた3か月と伸ばすことができると。
↑だからそういう状態じゃないって言うてるやろうがーーー

その間、一言のお見舞いの言葉も母の様子を尋ねる言葉もなし。

何だかイラっときたから、絶対答えられないだろうと思いながら、
退去したら住民票どうなりますか?

兄ちゃん、また誰かに聞きに行って、
元いた住所にもどして下さい。

住民票移すのはちゃんと居住してからでないとムリじゃないですか?
↑最初に母が倒れた時に散々苦労した件なので。


兄ちゃんまた周囲に聞いて、
退院後そこに戻る予定ということで転入手続きできますって。


え~~~、ホントかなぁ~~~
これ違ってたら大変なことになるけどなぁ。


というような一連の不愉快なやりとりがあったので
この件については考えるの止めました。
お金がかかろうと、住民票の行き場がない苦しみを
思い出すのも辛いので。


あ~今まで抑えてきた不満が噴出しそうで自分がコワい。







そして今日の母。
目はぼんやりあいているけれど、
顔を覗き込んで呼びかけても全く反応はない。
口も大きく開いていて、呼吸音を聞いていると
眠っているようだけど、目は開いている。
もしかして、意識レベルで言うとかなり低い状態か?
と顔をみてると思うけれど、
やっぱり手は動いている。
ベッドの柵を指でなぞったり、
結構な力でガタガタ揺らしたりしている。
この手の動きは ”うわごと” みたいなものなのかもしれない。
自分の意思と関係なく動き続けてるみたい。
途中2回ほど、肩をトントンして声をかけたら
眼だけが左右に動いた。反応はそれだけだった。
溶けてしまってる氷枕もあったので、午前中は熱があったのかも。


のこりの時間はそれほど長くはないのかもしれないと
今日は感じた。







[PR]

by kissinheaven6002 | 2017-05-24 21:40 | ひとりごと。 | Comments(0)

静かに受け止める


さっき主治医にお会いしてきました。


私が見たまま、感じたまま。
ただ、医師にはっきりと言ってもらえて
もちろん涙が出そうになったけれど
気持ちが決まったというのか、落ち着きました。


肺炎は治まっているようだけれど、
やはり口から栄養を摂取できるまで回復は見込めないと。
点滴も今は最低限必要な水分だけなんだそうです。

医師も、私の気持ちを探り探りのようだったので、
ほぼ毎日見舞いに来て、口の状態を見ているけれど
口からはもう難しいだろうと覚悟はしていると伝えて。

最初の診察の時に、
とにかく早く施設に戻りたいと言ったことも覚えていてもらってて
そのことも尋ねられたので、
入院が長引いて、いろんな検査を受けるのが可哀そうだからと説明すると
それももう心配いらないと。
病院の方ではすでに、ターミナルケアの段階なんだと思いました。


この病院は三か月を超えて居られるのかと聞いたら、
今の状態で三か月を超えることはないと思います、と。

そりゃそうだ・・・すでに水だけの状態になっているんだから。

このまま、老衰ということになります。




気のせいなんだか、前の入院の時より
看護師さんたちが優しい気がするんです。
前の時はもっともっと動いてたから拘束もされていたし
いろいろ話もしていたし。


母は今日も口を大きく開いたままだったけれど、
口の中がよく手入れしてもらってるのか
綺麗で、それが嬉しい。


今思うと、施設で食事がペースト状になった時点で
歯ブラシをやめてスポンジで手入れに変わってるべきじゃなかったんだろうか。


私と同年代くらいのおばさんスタッフさんが一人いて、
その人はよく、母がこんなに手がかかってるんですよアピールをする。
夜ナースコールをいじって頻繁に押すとかね。


そのスタッフが
飲物すべてとろみをつけても
歯磨きの水にはとろみつけられなくて大変なんですよ~
って言ってたけど、


スポンジ使えや!!!!


って、今頃ぼやいてみる。





今、母は2人部屋にいて、日に2000円ばかし差額が出ている。
6人部屋はものすごく狭かったし、
なんだか看護師さんも親切にしてくださるし、
このまま行こうと思う。



さて・・・特養はどうすればいいんだろう?
待っている人も多いはず。
早速、退所の手続き・・・するのか?
退所したら、担当ケアマネってどうなるんだろう?


アタフタしないで、その辺り、ちゃんとしていきたいと思います。
















[PR]

by kissinheaven6002 | 2017-05-22 18:09 | ひとりごと。 | Comments(4)