カテゴリ:ははのこと( 18 )

かずちゃんの話 18


いよいよ 大阪の実家 を閉める時がきた。


このころのかずちゃんはとても安定していた。
一緒に埼玉へ引っ越すということも理解していた。
それを拒む以上に病院がいやだったんだと思う。

退院の時着るものだとか、必要なもの。
そして身の回りの片付けを気にして、私に指示していた。


ただ、入院中もよく言っていたけれど、

 夢の中の出来事みたい。現実とは思えない。

と言った。そりゃあ80年以上暮らした大阪をその歳になって
離れることとか、突然歩けなくなったこととか
あたしだって夢の話みたいだよ、と答えた。


でもかずちゃんの言った夢の中はちょっと意味が違ってたんだと、
今ならわかる。


退院の前日にはすみれさん始め、何人かお別れに来てくださった。
幸い、かずちゃんどの方にも普通に応対できて、キチンとお別れができた。
ほとんどの人が、これが最後で今生の別れとなるだろう。 



これからすみれさんの面倒を見てくれる最年長のいとこ。
私は最年少。彼女が高校生の時私を抱っこしてくれてた。
その印象が強いから、
 あんたが一人でおばさんを抱えていくんかと思うと切ない
と言って、わたしを抱きしめて号泣してくれた。
でも、今年に入ってこのいとこがしてきてくれたことを思うと
私からも感謝しようがないくらい、ありがたかった。

  みっちゃんのお陰。ほんとにありがとう…



実家で過ごす最後の夜は兄と2人だった。
最終的な引越しとマンションの明け渡しはその週末を予定していた。
兄はこの1週間で3往復することになる。


退院の日の朝、兄はレンタカーを借りにいった。
ワンボックスの福祉車両。後部座席が外に出て降りてくるタイプ。
消費税免税になるらしい。


そして私はマンションの鍵を兄に渡して、実家をでた。
途中、かずちゃんもとても気にしていたお米屋さんに寄ってみた。
いつもここでお米を買っていたから、急にいなくなって心配してると思う、
と、よく言ってたので。


奥さんに事情を話し、お世話になったことへの感謝を伝えた。

そしたら奥さんが、

もうそろそろお米なくなる頃だろうと心配していました。
先月もお米を買いに来られて、大変だろうから届けますって言ったんですけど、
大丈夫だからって自分で運ばれて。その後ろ姿小さくて頼りなくて…


そう。かずちゃんはそういう時にも人の助けを断ってしまう。
そして、わたしが見なくちゃいけなかった小さい後ろ姿を
心配して見て下さってた方がいたんだ・・・と思うと
朝のお米屋さんの店先で、ポロポロ泣いてしまった。



でも泣いたのはこれが最後だ。


歩いて病院まで行ったら、ちょうど涙腺もしまったし、
これから出発しなくちゃ!






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by kissinheaven6002 | 2013-08-06 11:28 | ははのこと | Comments(0)

かずちゃんの話 17


5月17日、埼玉へ戻る前に市役所に行って転出届けをだした。

前に市役所に来たとき、途方に暮れて玄関前で一人で泣いたな…

そんなことをなんとか乗り越えて、ようやく手続きができた。


翌日の土曜日。かずちゃんのベッドだとか介護用品が搬入された。

その後すぐ、届いたばかりの車椅子を今度は宅急便で大阪に送る。

帰りに必要だから。宅急便っていろんなものが送れる。

車椅子は普通のではなく、家具を送るってのがあって。

兄はかずちゃんの家の洗濯機を自分チに送っていた。


かずちゃんは商店街の、いわゆる町の電気屋さんで家電を買っていた。
もちろん割高だけれど、ほんとに面倒をみてくれるので、高齢者の家には
欠かせない存在だったと思う。


日曜日にはウォシュレットを買った。これはバイト代を出して
二男が設置してくれた。


そして月曜日。次はいつになるかわからない新大阪行きの新幹線に乗った。

関東で暮らし始めて20年かな。いつだって新大阪行きの新幹線はワクワクだった。
2人の子供が小さいころはまだ、個室ってのがあって
1人用の部屋に3人で乗ったこともあった。
かずちゃんが一緒のときもあった。

だけど、今度わたしが新大阪行きに乗るのはいつだろう。
どんな目的で乗るんだろう。 
きっと大好きな友達と乾杯するために行くんだろうな。
だけどそれがいつになるのか、今はわからない。






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by kissinheaven6002 | 2013-07-29 19:47 | ははのこと | Comments(0)

かずちゃんの話 16


金曜日に介護認定が出たことを埼玉の包括センターに連絡して、

月曜日にはケアマネと介護用品のレンタル会社の人を連れて

うちに来る約束になっていた。


大阪のIさんの働きかけもあり、
なんとかケアマネを決めてくれていたようだった。


ケアマネさんて何を基準に選ぶのか?
わたしには時間がなかったから何人かの人と直接会って、なんてことも省略してしまったけれど、
ちょっと会って話て、よっぽどジャない限り、この人はNO!なんて
言えないと思うけれど。


とにかく、もう風邪引きでなかばぶっ倒れてる状態で埼玉に帰って、
その日はもう駄目かもしれない、と思いながらも寝続けたら、
やっぱり次の日復活していた。

やっと、かずちゃんを迎えるってことが現実となってきて
ようやく部屋を片付けた。

私が使っていた6畳和室は何もない状態にした。


月曜日、ベッド、車椅子、トイレの手すり、突っ張り式柱、なんかを
レンタルすることにした。
細かいこと聞かれたって、わかんないし。


介護保険を使って何かをするとき、とにかくいちいち契約をかわす。
役所でもこういう時でも、どんだけかずちゃんの名前をかいたろう。

勢い余って自分の名前を書いたり、ふりがなが自分のになりかけたり、
もう一体自分の苗字さえ怪しくなってきてた・・・


レンタルしたものはその週の土曜日に搬入してくれることになった。
しかしホントは、この時点でかずちゃんはまだ埼玉の人ではないから
まえもって、という契約はできないらしい。
そこをお試し期間とかでごまかしてくれた。


そして、しっかりしてんだか大雑把なんだか結局かなり怪しかった
包括センターの方とも、ケアマネが決まった時点で関係がなくなった。


あと、何か足りないのかもしれないけれど、もうそこまでは考えがまわらない。
でもようやく先が見えてきて、もう一頑張りだという元気がでてきてた。
火曜日、また大阪に戻った。


土日には兄がかずちゃんのそばにいてくれたし、
かずちゃんのせん妄状態は随分なくなってきていた。
日中は、自分が食いっパグレナイよう、食料を買い込んで
ひたすらベッドの横に座っていた。
かずちゃんは私の介助付で病室内のトイレまで歩いて行った。

夜8時頃、かずちゃんが寝付くと実家に帰り最後の片付けをした。
実家の地域、可燃粗大ごみとか言って、まずまず大抵のものは普通に捨てられた。
夜な夜な、ごみ置き場にいろんなものを運びいれた。


実家にすでにテーブル類はなく、床の上でコンビニ弁当にビール。
家具なんにもなくて、20数年間の汚れだけが目立ってた。
この家でこんな最後がくるとは想像もしていなかったな。


それでも、あともう少しだ!っていうことだけで
わたしは頑張れてた・・・のに、最後にちょっとした小競り合いがおきた。


病院に退院の日取りを聞いたら、病院としたらホントできるだけ早く!という
状態だったらしく、やっぱり追い出されずにここにおいていただいててのね、
と最後に実感した。


そうそう、帰る手はずの話。
当初は、車に非常に弱いかずちゃんだから思い切って新幹線で、と考えたけど、
せん妄状態になるのを恐れて、兄運転の車で帰ることにした。
兄が千葉から自分の車で来る事も考えたけれど、その時絶対にかずちゃんが
移動できるとは限らない。なので、レンタカーを大阪で借りて千葉で乗り捨てる
という形にした。料金は倍ほどになるけど。


兄は月曜日、仕事休めないと言ってたので、火曜日か水曜日ということになる。
ところが、兄が木曜日にして欲しいと。


大概のことなら応じるけれど、今回のこのたった1日2日がどうしても
譲れなかった。兄もよっぽど大事な会議があるらしかったけれど、
でも、あと少し!のがんばりに延長はなかった。


仕方なく木曜日を受け入れたけれど、いろんな事が後手にわまって
苦労した今回のかずちゃん騒動。やっぱり一日遅かったってことに
ならないのを祈るって最後にメールしたら、それが効いたらしく、
兄が水曜日に調整してくれた・・・・できるんじゃん。



金曜日、きっとのぼり新幹線はこれが最後だ。
次にくるときはかずちゃんと帰るときだから。


週末、兄がまた大阪に行って、最後の引越しの打ち合わせをしてくれた。












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by kissinheaven6002 | 2013-07-19 20:17 | ははのこと | Comments(1)

かずちゃんの話 15


わたしが付き添って泊り込んでいる間にかずちゃんは
感覚として私と2人でホテルに宿泊しているかのようだった。

わたしはずっと椅子に座っているのだけれど、
すでに昼夜がわからなくなっていて、よく
いつまで起きてるの?なんて言われた。

最初は暗くなる前に帰りなさいって言ってくれてたっけなぁ…


そし15時前後になると、しんどい・・・ と言い始める。

代わって、代わってといわれずっと抱きしめて過ごした時もあった。
大丈夫、大丈夫とずっと身体をさすってたこともあった。

ただただ、時間が過ぎて欲しかった。


ベッドの隣から離れるきっかけがなくなってしまってた。
でもこのままでいられるわけもないので、ひたすらかずちゃんが眠りにつくのを待って
午後9時頃わたしは実家に帰ることにした。


コンビニでとにかく食べたいものを買ってみた。
デザートだとかサンドイッチだとか、何か食べないと。


実家に帰ったら、再びかずちゃんの荷物整理も始めた。
一度は終わった整理だけれど、今のかずちゃんの状態を見て、
更に荷物を絞り込んだ。かずちゃん、もうスーツなんて着ることはないだろう。
こんな本を読むことはないだろう。


本来の親の家を整理なら、自分が必要かどうかで決められるけれど、
わたしの場合は少し複雑だったと思う。



連休が終わると、地域医療連携室のIさんから連絡があり
次の木曜日の介護認定の審査会にかずちゃんの名前があると。
つまり、介護認定がおりるということ。

今回名前がないとまた次回、短くとも2週間以降ということになる。


涙がでるほど嬉しかった。
これで帰れる。このひとりぼっちの町から抜け出せる!
それだけだった。


木曜日に審査会があり、金曜日に結果の発送になるということだったけど、
金曜日に直接取りに行く手はずにした。



その為、実家での滞在も延びた…
なんだかノドが痛くて、頭も痛い。ちょっとヤバイと思った…

かずちゃんが寝ている間に駅の商店街に行き、葛根湯ドリンクと
栄養ドリンクを買った。

川岸のベンチに座って飲んでると、また雨が降り出した。
肌寒くてかずちゃんの地味ぃな色のジャケットを着て、
薬の入ったレジ袋提げて・・・ 自分の姿を考えるとほんっとに哀しかった。



金曜日、朝一番に市役所に行った。かずちゃんの介護認定は
要介護4 だった。
Iさんなんかも、出ても要介護2、もしかしたら要支援2くらいかもと言っていたから
4は想定外だった。要介護はレベル5までなので、かなり高い。
低く見られると、その後の介護保険の適用なんかで困るけれど、
高いは高いで複雑な気分。


けれども、とにかく! これを埼玉にも連絡して
ようやくケアマネもさがしてもらえるだろう!


再び、わたしは新大阪の駅を駆け上がって新幹線に飛び乗ってわたしの家へと急いだ。








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by kissinheaven6002 | 2013-07-17 19:10 | ははのこと | Comments(0)

かずちゃんの話 14


かずちゃんの病室は4人部屋で、わたしには簡易ベッドを貸してくれた。


入院した当初はほぼ寝たきり状態だったかずちゃんは
自分でトイレに行きたいと言っていた。
座ってトイレしたいと。

読ませていただいたブログに書いてあったけれど、
おしっこの方は寝たままでも割と簡単にできるけれど、
おっきい方はできるものではないらしい。


その時のかずちゃんはベッド横のポータブルトイレでできるまでになっていた。


次の朝からかずちゃんを見守っていたけれど、
かずちゃんは時折2人でホテルに泊まっているという錯覚に陥っているのがわかった。
それから気になったのが、看護師さんへの気の使い方。
看護師さんに何か尋ねられると、高めの明るい声で返事して、ちょっと何かしてもらうと
ありがとうございましたぁっと元気に挨拶した…明らかにおかしい。
そして、私がみんなよくしてくれるねっていうと、声を潜めて
そうでもないのよ… この前もエライ怒られたんやから・・・
明らかに、認知症だと理解した。


お昼前、リハビリに行くかずちゃんにも付き添った。
かずちゃん、平行棒の間をスタスタ歩いていて驚いた。
かずちゃんはこのリハビリを楽しんでいたし、療法士さんのことも大好きなようだった。
だけど、療法士さんに私のことを、妹です!と紹介してくれた。


そして、昼食を済ませて昼寝をしようと・・・・

その時気づいた。


わたし、朝から何も食べてないかも・・・
いや、夕べのビールが最後じゃないか?







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by kissinheaven6002 | 2013-07-13 20:01 | ははのこと | Comments(0)

かずちゃんの話 13


4月23日に埼玉に戻って、悩んだけれど次にかずちゃんのところに行くのは
やはり5月3日の結婚式後ということにした。



今思うとこの期間がかずちゃんに大きく影響したのかもしれない…
でも、しょうがないか。


その間は少し遠くはあるけれども大阪に住むいとこが顔を出してくれていた。

そのいとこから一度電話があった。

かずちゃんは高齢者にはよくあるらしいけれどやっぱり背骨に圧迫骨折が
あったらしくコルセットを作った。

そのコルセットをつけて寝ていたら、苦しい!はずして!助けて!と
暴れだしたと病院から連絡があったそうだ。


かずちゃん、昔から身体を締め付けることキライだったからなぁ。
ブラジャーとかも。
しかし、暴れるってのはどうよ?
ハハから暴れるなんて言葉、到底むすびつかないから。



やっぱりこの間に、せん妄状態は始まっていた。


5月3日の結婚式を終えてわたしはそのまま実家に向かった。
今回は二男が一緒だった… 最後になるから大阪の町で遊ぶ!とか言ってついてきた。
内心、好きなだけこずかいやりたいくらい、嬉しかった。


次の日二男をまずかずちゃんのところへ連れて行ったら、
かずちゃんとっても喜んでくれて、すみれさんのところへも
行ってらっしゃいと。二男は小さい頃からスポーツで忙しかったので
すみれさんにも長く会ってなかった。


わたしはすみれさんところから再び病院に戻ったけれど、
その日かずちゃんに異変はなかった。


5月5日。兄家族もかずちゃんのところへ顔を見せた。
そして午後。かずちゃんと私2人になった。
かずちゃんの様子が変わった。明らかに顔が険しくなり、
フーフーと深呼吸始め、しんどい・・・ といい始めた。
そこからどんどん苦しそうになり、口にする言葉は意味不明
助けてだとか、なんとかして、そこを持ち上げてよとか…

看護師さんを呼んだら、熱だとか体温とかみてくれたけれど、
何の異常もない。そう、しんどい ってことだ。

今思ってもこの時の状態は激しかったと思う。
初めてだったし、何が起こってるのか誰も説明もしてくれなかった。


明らかに”おかしい”かずちゃんは私をみて
ハハが来てるのにしかられます!なんて言うのを聞いたら ポロポロ涙が出てきて。
そしたら看護師さんの手に取りすがってるかずちゃんがまた、

わたし、ハハを泣かせてしまいました!

私はもう堪えられなくて病室を飛び出した。


あまり家族を顧みなかった父だったけど、母は兄と私を連れていろんなところに出かけた。
私は割りと自由に生きてきたけれど、いつだって母がちょっとコワかった。
お母さん大好き!というのではないけれど、わたしには絶対必要な人だった。
そしていつだって、母はそこにいる人だった。

だけど、この言葉を聞いたとき、もう母はいないんだと思った。



一人の看護師さんが大丈夫ですか?と声をかけてくれたので、
わたしは一度家に帰らせてくださいと言って、実家に帰った。



帰ったところで何もない。誰もいない。
一人で泣き続けるのはイヤだし、ビールを飲みながらテレビを見た。



しばらくすると病院から電話があった。母が暴れていると…


病院に戻ってみるとかずちゃんは車椅子に乗せられナースステーションにいた。
私をみるなり、

わたし、なんにも悪いことしてないのに何でこんなことになるの?
なんにも悪いことしてないのよ。なのに何か私ヘンになってる…


大丈夫!!! おかあちゃんは頼れる娘を一人産んでるんやから!
ビール2缶でわたしはすっかり立ち直っている…



GWで人手が少ないので泊まってほしいと言われ、結局3泊した。


それからどれくらいの時間をかずちゃんのベッドの隣に座ってすごしただろう。







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by kissinheaven6002 | 2013-07-10 21:07 | ははのこと | Comments(0)

かずちゃんの話 12


4月も末になり、GWが始まろうとしていた。

ここでまた一つ引っかかっている行事があって・・・

兄の長女の結婚式。5月3日 @岡山。
兄は母が倒れた時、大阪の病院に行って、北海道のお葬式に行って、
結婚式の式服の衣装合わせに行って・・・を1週間にこなしていたようだった。


この結婚式があるので私の次の大阪行きが決められずに困ってもいた。


いろんな問題山積みだったけれど、
まず、かずちゃんの引越しを4月中にというのは見送った。
5月分の家賃は大きいけれど、実家を5月までそのままにしておくことにした。
きっとその頃にはかずちゃんがどの程度まで回復し、
埼玉に行くのか、施設にいくのか、療養型病院に行くのか
決められるだろう。
何より、とにかく一度立ち止まって落ち着こうと思った。



大急ぎで申請したかずちゃんの介護認定の区分変更の面談は
わたしが埼玉に帰った火曜日にあったらしいので、あとは結果を待つばかり。



これから何を始めるにしても、介護認定が必要不可欠と言われて、
しかも認定が出る前に埼玉に引越してしまうと再度申請が必要になって
その間何の援助も受けられず大変なことになるらしい

・・・・・とその時は理解していたけれど、最後の最後でそうじゃないらしいってことも知った。


介護保険と後期高齢者医療保険。
色んなところでいろんな人から説明された気がするけれど、
どれもこれも、多分一つの状況に対する説明であって、
かずちゃんみたいにあまりに状況が何もかも不確定な場合
それらを総合的に組み合わせて考えることなんてとうていムリな話だった。

だから、認定前に仮認定の形で引っ越して・・・なんてこともうどうでもよかった。
認定でるまで大阪にいる! これで多少はすっきり。


もし退院になってしまったら、大阪で療養型病院を紹介してもらってでも
認定を待つことを、地域医療連携室の担当者Iさんに伝えた。

このIさん。わたしが連絡しておきます、って約束してくださったら
必ず連絡してくれていたし、本当にやるべきことをちゃんとやってくださった。


そう、極めて普通のことのようだけど。



4月26日だったと思う。最後の休日?エンジョイ中の私に
埼玉の包括支援センターから電話があった。


  今、大阪から連絡ありましたけどお母さま退院が決まったんですか?!

となぜだかスゴイ剣幕。

  しかも療養型病院への転院など一切お断りされたそうじゃないですかっ!!!

なんの話をしてんだ、この人は?
  断ったというのは、どこをですか?大阪ですか?埼玉ですか?  とわたし。


  それは・・・電話受けたのわたしじゃないので・・・
とテンション下がる。なんだ、自分できいたわけじゃないんじゃんか。
第一、これからGW始まるのに、連休中に退院なんて素人のあたしが考えたって
ないと思います! だけど。


そこから私は大阪のIさんに電話したけれど、Iさんはやっぱり落ち着いて、
埼玉から現在の看護情報が欲しいといわれてファックスしたことを教えてくれた。


連絡したのは埼玉の方からだったし、退院は決まったら連絡すると言ったというし、
断った療養型病院は東京にあるときいたのを私が遠いからと答えたものだった。


その上、この時の看護情報っていうのが、看護サマリーとか言って後に必要だといわれたけれど、
Iさんはすでに送ってますけど、もう一度送りますねと言ってくれた。


Iさんが困っていたのは埼玉の方の動きの悪さ。
何がなんでも介護認定がでるまではケアマネを探してくれそうにもない。

  地域差はあるけれど、この状況なのでケアマネ探してもらえると思ったんですけど…

と困惑気味だった。


この後約一ヶ月ほど入院は続くのだけれど、それはただただ、
認定が降りるのを待つためのものだったことも、最後に知った。







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by kissinheaven6002 | 2013-07-09 21:00 | ははのこと | Comments(1)

かずちゃんの話 11


2度目の帰省。

この時わたしのココロの半分を占めてたのは自分のパートの仕事のこと。

忙しい時期でもなかったし、多分さほど迷惑かけているほど濃い仕事じゃなかったけれど、

やはり、休みを申告するのには労力がいる。

上の子が大学の宿舎に入っていて、
下の子が私立の高校から大学進学を控えていて
多分、一番お金がかかる時期に突入している。

兄や友人に言っても、パートなんだから続けられるだけいればいいんだよって
言ってくれて・・・



この時の帰省で、ようやくかずちゃんの入院の身の回りを整えた。
でも、看護師さんたちも忙しそうだし、向こうからも何も要求されなかったし、
後から考えてもコミュニケーションが不足していたと思う。

これは、こちら側のせいなんだろうか・・・


かずちゃんが入院して、主治医は内科の先生だったけれど、
パーキンソン病が疑われていて神経内科にもかかっていた。


だけど、腰が痛いとかで整形外科、
おしっこもでなかったらしく泌尿器科。
それぞれが連携しているとはとても思えなかった。


月曜日、泌尿器科の受診の日で一緒に行ったのだけれど、
ほんとに感じの悪いドクターだった・・・
救急搬入されてからおしっこがでないということでこっちにまわされてきた。
おしっこに問題があったらなんでもかんでもまわしてくるけど、
実際ここで処置することなんて何にもないんだから・・・  とか。


しらんがな!


その時にはまだ管が入っていたのだけれど、
かずちゃんを、わたしがなんとか説得してそれを抜いてもらって
以降、順調に排尿できるようになった。


退院前の検診の時もそのドクター、
明日退院ですから紹介状とか言わないでよ、前もって言ってよ!
だと。

しらんがな!


同じ病院でしょうが!
そして二度とくんな!くらいな勢いで薬が2ヶ月分くらいでてた。



実家では、心臓が締め付けれらるような夜をこれまた一人で過ごした。

この時のかずちゃんは、

夜なんだか昼なんだかわからない・・・

ってことを言ってて、
ジュンちゃんの薬はないの?なんて、ちょっと???なことを
いい始めてたかな。ちょっとあやしいかなとおもったけれど、
それも入院って環境下にあったからで、
まだまだ、わたしの母であった。


火曜日、また埼玉に戻った。
この時わたしはやっぱり仕事を辞めようってきめた。
休みを申告するストレス。そんなストレスでも肩から下ろせるものは
全部下ろしてしまおうって。


水曜日、仕事を、その日付けでやめさせてもらった。


手帳にそう書いてあるので、この日付で退職したのだけれど、
もっともっと長い時間悩んだような記憶がある。


その帰り道、携帯をスマホにかえた。

なんもない実家の夜がとてつもなく辛くて、
アトサキ考えずに変えてしまった。


そして次の日から、一度リセットすることにした。
どうせ訪れる大変な毎日を前に。


予想通り、これが最後の自由時間だったな・・・








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by kissinheaven6002 | 2013-07-04 21:50 | ははのこと | Comments(3)

かずちゃんの話 10


大阪から倒れこむように自分の家に帰った私は、
翌日、いつものように5時に起きてお弁当を作った。


大阪の実家でかずちゃんやらすみれさんをとりまく問題解決にあたるメンバーで
わたしは一番の若手になる。

わたしだってそんな若さ溢れる年齢ではないのだから、
もうわたしの元気など干からびてカラッカラだった。

それがうちに帰れば体育系の高3男子が一人いる。
外で吸収してきた太陽エネルギーと共にあふれでるパワーを
家の中で発散していると思う。

そのパワーが私をまた日常にもどしてくれたように思う。




その日は仕事をして、その後ケアマネージャーを見つけるというミッションを
果たすべく、お役所高齢福祉課へと出向いた。

また一からの説明。
ありきたりの介護保険に関する説明。
しかも何言ってるかわからない・・・専門用語使ってるんだもの。

もう一度切羽詰った状況を説明。
奥の職員の指示を仰いだ窓口さん。再びの説明。
結局、地域包括支援センターへと言われた。
今から行っても開いてますか?と聞いたら、わからないと。
なんで営業時間くらいわからないんだ・・・



翌日、地域包括支援センターへ行った。
ここが最初の相談窓口のようだった。
相談員?の方2人が熱心にメモをとり私の話を聴いてくれた。

やっと、頼りにしていい人にめぐり会えたようでホントに嬉しかった・・・


という喜びはその後簡単に落胆へと変わるわけだけれど。


とにかく大阪での状況がはっきりしたら連絡をということで
ひとまずケアマネージャーのミッションは果たせる状況になった、
・・・と思っていた。



この時のわたしは介護保険なんてもの全くわからないし、
すっかり忘れていたけれど、介護の導入は正真正銘のお役所の仕事。
そんなにトントン拍子にはなしが進むはずがない。


もっと他にも家のこととか準備しておくことがあるはずだとは思っていたけれど、
かずちゃんが倒れた原因もわからず、どこまで回復するかもわからず、
なにをどうしていいのか、やっぱり何もできなかった。


その週末、再び大阪に戻った。






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by kissinheaven6002 | 2013-07-02 08:22 | ははのこと | Comments(0)

かずちゃんの話 9


4月15日。
心臓を軽く握られてるみたいないやぁな重みを感じる
一人で過ごす実家の夜を越えて月曜日の朝になった。


とにかく市役所の用事を済ませて、
今日は埼玉に帰る・・・

家を片付け戸締りをして
荷物を持って市役所に出かけた。


まず介護保険課に行って再申請の手続きをした。

次に後期高齢保険課で、高額医療費の免除だかの手続きをした。
そこでもう一つの大きな問題、住所のことを聞いてみた。
4月中にはマンションを引き払う予定なのに、かずちゃんが動けるかどうか、
まったくわからない。


大阪なら大阪、住んでいるところが保険者になるので云々・・・
そんなこと、聞いてないし。


結局住所のことは市民課へ!となる。


そしたら、まぁ、ありきたりな転居に関する説明になる・・・
知ってるよ・・・手続きのことは。
この時私は自分のささやかなパートの仕事を休んでいる、市役所の市民課の仕事を。

そして挙句きっと言うんだ、そう、ほら・・・

後期高齢課で聞いてください。


そこから、ここへ廻されたんやろぉがぁーーーーー!

とブチ切れたりはしない。
どうせ答えなんかあるわけないって思ってたから。


それでももう一度後期高齢課にもどった。
今度はさきほどのおねいさんじゃなく、
ベテラン職員さんだった。


病院に住所は設定できないから、どこか住居に設定しないことには
かずちゃん住所不定になる。

結局なんの新しいお知恵を拝借することもできず、
そりゃそうだよ、聞いてるわたしがこの先のことが全くわからないんだもの。


かずちゃん、どうなっていくんだろう・・・



市役所を出たとき、すでにクタクタだった。
何にもしていない、ただ現状を3回説明しただけだったのに。
3回説明して、自分がどうしようもないってことを再認識しただけだった。


出たところの花壇の石垣に座り込んだ。

実家のあるこの町は私が社会人になってからすみ始めた町なので
わたしにはほとんど思いいれはない。ただ、不便な町だった。
そしてこの町に友達どころか、知り合いも誰もいない。


わたしは一人っきりだった。
いや、一人のほうがまだいいのか、
病院のベッドの上に動けないかずちゃんがいた・・・


どうしようもない、ってじっとしていたら、
空は晴れているのに雨が降り始めて、
ようやく病院に向かった。


かずちゃんは相変わらずうごけなかったけれど、
顔色は戻っていて、これからどうすればいいのか心配していた。


ほんとは夕方まで病院にいるつもりだったけれど、
かずちゃんが帰りなさいと言ってくれたし、
わたしもとにかく一度家に帰りたかったから、
昼食を食べたのを見届けて、病院を後にした。


新大阪に着いたらあと5分ででるのぞみに飛び乗った。
飲み物も何にも買わず、改札からホーム、自由席まで、ほとんど走った。

とにかく、とにかく、早く帰りたかった。


一日3時間くらいしか寝ていないのに、やっぱり新幹線の中でも眠れなかった。



家に着いたらまだ、二男も帰ってなくて誰もいなかった。
脱ぎっぱなしの靴下。
空のペットボトル。
しわしわの洗濯物。

普段なら頭にくる、いつもの光景。

でも、

うちの中は生きていた・・・











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by kissinheaven6002 | 2013-06-24 16:14 | ははのこと | Comments(0)