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介護の終点


週末、母の納骨と四十九日の法要を終えました。


無事に母を大阪に連れて帰ることができました。


大阪に戻ることが介護の終点だと思ってきました…




当日は物凄く暑くて、立っているだけで
汗が流れ落ちてました。
そんな中、葬儀には参列できなかった
母の昔からのお友達やその家族が
集まってくれました。



大きな本堂のとなりの広間で法要していただき、
その後本堂の下にある納骨堂へおさめられました。


納骨堂の扉は本堂の真横にあり
重厚な扉が開けられ、
私たちはそこで見守りました。


始まる前に骨壺から小さな木箱に親族の手で移し替え
その小さな木箱をお坊様が持ち、

それでは納骨させていただきます


みたいな言葉のあと、
扉の奥にある金箔の施された部屋の
その奥にある階段を静かに下りて行かれました。


その時の情景を思い浮かべると…なんだか涙があふれてきて困ってます。


御本尊様の下、それはとてもとても安らかな場所であるようで
まるで、母がその母の胎内に戻って行ったような・・・
そんな風に感じました。


再び姿を現したお坊様の手にはもう何もなく、
また重厚な扉が静かに閉められました。




安らかに。
あ~~~ おわりました。













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by kissinheaven6002 | 2017-07-26 11:11 | ひとりごと。 | Comments(0)

あの人は今…


すみれさん。
母の4歳上のお姉さん。
今月、91歳になります。


母がこちらに来て以来、
同じ内容の電話が度々かかってきていたけれど、
今年に入り、何故か母は一人で、
父の故郷である鹿児島に行ってしまったという設定になり
それ以降うちにはあまり電話がかかってこなくなった。


母が亡くなった時も満場一致で
すみれさんには伝えなかった。

あともう一人、父の弟にも
その娘、わたしの従妹の意向で伝えなかった。
こちらもやや認知症が始まっている。


80歳を超えていても、
やっぱり認知症のない方には
辛いけれど伝えられた。


すみれさんのことも、
妹との最期のお別れができないなんて
なんとも切なすぎるけれど・・・
その時のその感情に振り回されては
その後の主介護者である従姉の苦労は計り知れない。
それでなくとも、

90歳になる私をいつまでこんなところに入れとく気だっ!!!!

と言って毎夜電話があるらしい。



前にも書いていると思うけれど
すみれさんの人生はやっぱり少し変わっていて
今なら多分 LDだとかそう言った診断がでるだろうと思っている。

とにかくお金の計算ができなくて
その上財布というものをもっていなかった。

容姿も、短髪で細身。スカート姿は見たことはない。
なのでいつもズボンのポケットにお金を入れていて
そこからおこづかいを取り出してくれていた。
誰かの為にお金を使うことも全く厭わなかった…
けれど、今となっては退職金がどこに行ってしまったのか
わからなくて、従姉も困っている。
信頼できる友人に預けてしまっているらしく
それが見つからない。

母も言っていた、純心で本当にイイ人なのだけれど、
常にその身の回りの世話をする誰かを必要としていた。
そしてまたそういう人に恵まれた人生だった。


私が20歳を過ぎた頃から両親とすみれさんと私とで
暮らすようになった。
すみれさんは何があろうと自分の生活リズムを崩すことは
絶対になかった。


ダスキンのモップ同じのが当時2個あった。
父は父でA型の几帳面タイプだったのだけど、
父が汚いところを掃除してモップが汚れる!っていう
???なすみれさんの愚痴回避のために
母が二つレンタルしたのだった。


その時に私はすみれさんの実態に結構苦労?不満があり
よく食ってかかったりしていたので
多分すみれさんは今も私がコワいはず。
一方、とても面倒見のいいすみれさん!と
ずーーーーっと思ってきた従姉は今散々苦労している様子。


納骨で帰阪する際、すみれさんに会いに行くと従姉に伝えたら、
実は、すみれさんの誕生日で悩んでいると。
誕生日会をしても翌日には忘れてしまい
また文句を言われるだけだし・・・
でも何もしないのも悪い気がするし、と。


忘れられてもエエやん?
とりあえずその時その場所では喜んでくれたら
それだけで、誕生日会やったって自己満足できるやん?
みんなでやって、一緒にビールのもうよ!

って言ったら従姉がとっても喜んでくれて。
介護してる人にしかわからんな、と。


すみれさんから見て、甥姪は9人。
一番年長だった甥が亡くなってしまっているので
その次にくるのが、その従姉。
だからと言ってその従姉だけに負担かけるのもおかしいのだけれど。


すみれさん。昔から自分の健康のことだけを考えていた。
じゃこだのとろろ昆布だの、自分用のがイッパイあって
母が揚げた揚げ物の衣は全部、はがして残していたし。
その甲斐あってか今も自前の歯で
バリバリ噛んで元気らしい。
でも、アルツなので一人では外に出せない・・・
せっかく他は元気なのに。


そんなこんななすみれさんにも会ってきます。


父が闘病中にも、父とすみれさんの板挟みになってた母。
すみれさんの心無い言葉に、心底から腹が立っていたことも多かった。


でもね、やっぱり母の川柳ノートに見つけてね・・・




亡母のこと話せる姉が側にいる




自分の母のことを思い、そしてその思いを側にいる姉に打ち明ける。
少し衝撃を受けた一句でした。
当たり前なんだけれど、母も・・・娘だったんです。
そして、妹だったんです。



私の事、お姉ちゃん って呼んでたもんな。

今頃、

あんたのこと、お姉ちゃんって呼んで悪かったな

って謝ってるかもしれない。
お互い様だね。



















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by kissinheaven6002 | 2017-07-10 18:49 | ひとりごと。 | Comments(0)