頑張れ!!!


海老蔵さんのブログを読むと、
その中の一言に引っかかって、突然涙が噴出しそうになります。


海老蔵さんがブログ更新多すぎる、なんて批判?の声があるとか。
普段、世間の出来事に超クールな反応の長男が、

そりゃつぶやかずにはいられないだろうよ~

と。
乱暴な言葉なのかもしれないけれど、
海老蔵さんの気持ちを少しでもわかっている長男でよかった。


誰かが自分の気持ちを聞いてくれている、
それだけで、ほんの少しの癒しになっているはず。


まおさん最期に

愛してる

と言ったとか。最期の瞬間まで生きていらっしゃったんだと。
変な言い方ですけれどね。
母なんかは、死んでいってる時間が長かったんだと思います。


海老蔵!!!! とにかく、


頑張れ!!!!!


頑張ってるのはよくわかる。
だけどしばらく、とにかく


頑張れ!!!!


って、ブログ読むたびに思っています。






さて、私はというと、
ようやく四十九日の日程が決まりました。
というより、納骨の日取り。つまり母を大阪に連れて帰る日。


母が入院中、兄が来たとき、
あれは葬儀場を巡った時だったな。
頭の中大混乱になったので、兄に休憩しようと
近くにあったコメダに行った。

ちょっと休憩しよか?

とコーヒーに誘うのは
兄にとってとっても母っぽいことだったらしい。
それから兄が来る度にコメダに行った。
60近い兄妹で、シロノワール、分けっこです…
そこで、

みんなで大阪に帰ろう

って話をしてた。
大阪から母を連れて来た時は兄と私、2人だけだったから。



しかし息子たちも社会人とかで、日程調整はかなり難しいし…
あんまり大きな声では言えないけれど、言ってしまおう!

・・・義姉が・・・いろいろ・・・ウルサイワイ!




でもとにかく、日程が決まり
母を生まれ育った大阪に戻すことができます。




多趣味だった母の晩年は川柳でした。
たくさんのノートが出て来て、未完成のもの、
題材としてのメモが残されました。


その中の一句に、



逝き先は 南御堂と 決めている



という句がありました。
南御堂とは、父も納骨してある
大阪の御堂筋にある寺院です。
とても賑やかなところにありながら広く静かな寺院です。


その句のとおり、
母をそこに連れて帰ろうと思っています。
そこまでが、介護というのか…私の任務?かな。



母の句に、
返してみました。



梅雨明けに また故郷(くに)となる 御堂筋







私もやっぱり大阪人。
両親が眠るところが故郷ですよね。













[PR]

# by kissinheaven6002 | 2017-06-29 20:01 | ひとりごと。 | Comments(0)

特養退居


昨日は一日中寝て過ごしてしまった。
それが、寝ても寝ても寝られるもんで。
まぁ、それはそれで仕方ないかな。
ただ、家の中が乱れ続けてる・・・


母の所へ行かなきゃって考えなくていいんだって
考えることがちょっとしんどいっていう感じ。




さて、入院中から引っかかっていた特養のこと。
特養には2年と1か月間お世話になりました。

一言で言い表すなら


なんだかなぁ・・・


です。




母が亡くなった日の午後、
とりあえず施設に電話して、
今は施設長兼任となっているケアマネを呼び出して
亡くなったことを伝えました。


スッゴイびっくりした様子でした。
・・・いやいや、その前に相談員にちゃんと長くないこと
伝えたはずでしょうに、今さらそんな驚かれても困る、でした。

亡くなった日をもって、施設での費用はかからなくなるようでした。



母の荷物は、チェストとポータブルトイレ、ハンガーラック。
あと、車椅子とセンサーマット。

葬儀の翌日の金曜日、手続きやら段取りの為に
施設に行きました。

もうすでに次の入居者の準備が始まっているようで
荷物はホールの端に出されていました。


入居の時にオーダーミスをしたカーテンも私物でした。
カーテンの洗濯は各自となっていたので
今回の入院の時に外して家で洗ってました。
丈が長かったので、修正しようかななんて悩みながら
結局・・・もう一度カーテンをつるすことはありませんでした。


衣類はその日に全部持って帰って
その他のチェストなどは、市の回収を手配しておけば
当日スタッフが運びだしてくれるということでした。


車椅子は使いたい友人がいるので持ち帰り
残ったのが、センサーマット。
こればっかりはどうにもなんないし。
とりあえずどこか下取りしてくれないか探してもらうことにして
帰宅しました。


それから市の粗大ごみ回収の申し込みをしたら
週明けの月曜日に回収してくれるとのこと。
そうなると土日をはさむので、今日中にシールとか
用意しておいた方がよさそうなので
結局・・・退居の書類やら全部揃えて
再び施設へ。


窓口でやり取りすべて終えて、
メンドクサイからもうセンサーマットも寄付することにして…
そしたらすべての手続きが終わって
あっけなく特養退居終了。


最後に窓口に行ったときにも、相談員とか
奥で研修中だとかで出て来なくて、
ケアマネに至っては最後に会ったのはいつだったか。


母がもう戻ることはないと相談に行った時も
奥で研修中だったなぁ。
家族の話聞かずに何が研修なんだか。


ユニットリーダーにも会ったけれど
私が、お世話になりましたと挨拶しても
はぁ・・・・みたいな。
こういう時の言葉こそ研修しとけばいいのにね。
若いお嬢さんだから、経験も浅いってことでしょう・・・けど、
プロなんだからさ。


多分家族としての私は、それほど多くの事を
施設に望んでいたわけではないと思うけど、

特養ってこんなもんなのかな…なんだかなぁ

っていうのがすべてに対しての気持ち。


お世話になったことに対して
もちろん感謝もしているけれど、
それは対価として
介護保険と自己負担で支払ってきたもので
充分な範囲かな・・・みたいな。

何か大事なものが足りなかったような。


うまく書けないけれど、
もっと切り込んでいけないのは
やっぱり在宅をやめて特養でみてもらったっていう
負い目を少なからず感じてるからでしょうね。


そんな気持ちもこの記事で整理してしまいます。



ただうちみたいに認知症で特養に入居される時、
デイサービスで受けていたような刺激は全くなくなる
ってことは理解しとく必要があると思います。

















[PR]

# by kissinheaven6002 | 2017-06-18 12:55 | ひとりごと。 | Comments(0)

最期のとき その2


あの時から一週間が過ぎました。


もう一週間経ってしまったんだ、という気持ちと
まだ一週間なんだという気持ちが
うまくミックスされている不思議な気持ちです。


こうやって時間が過ぎて
母の所へ行かなくちゃって思ってきた日々のことを忘れて
暮らして行くんでしょうね。



そして6月5日の午前3時過ぎ。


枕元のスマホが鳴って慌てて出たら…
やっぱり切ってしまった。
↑あんまり電話ってかかってこないから
たまの電話は間違ってきってしまうこと多い。


すぐに病院にかけ直したら
守衛室に繋がって、おじさんがでた。



6階の○●○●と言いますが
今そちらから電話を頂いたんですが…



6階の… のざわなさん?



いいえ、 な●○●です。



えっ? 野沢菜さん?



な●○●です!!!!



・・・野沢菜?




の、じゃない、 なっ!!!133.png



何で今、野沢菜なんや
って言うボケを一つはさみながら


ナースステーションに繋がり、
呼吸が弱くなっていて
ご高齢ということもあり…

30分以内には到着しますと言って電話を切った。



次男を起こして送ってもらうことにして、
それがまた、ガソリンがないとかなんとかヒトモメし
兄にも連絡して病院に向かった。


病院に着く前、次男に、病室まで行くか聞いてみたら
やめとくというので次男はそのまま帰した。


最期なんだからと病室に連れていくのが普通なのかな。


私はあんまりパニクッたり、オロオロしない方なんだけれど、
この時も、家にいたのはやっぱり次男だけで
母の姿も次男だけが一番多くみてきたし。


自分でも過去一番パニクったと思うのが
数年前に交差点右折するときに
自転車の人を引っかけてしまった時。
この時も乗っていたのは次男だけ。



憎たらしいヤツだけれど、
母親を見送る自分の母親の姿に
一人で立ち合わせるのは重すぎると思った。



母は病室からナースステーション横の部屋に移っていた。
酸素マスクをつけた母は肌が黄味がかっていた。


4年前に倒れて病院で寝ている母を初めて見た時は
死んでいると思ったのを覚えている。
あの時は土色で苦し気だった。


母は昼間見た時と同じように
薄目をあけて眠っているようだった。
痰の絡んだゴロゴロした感じもない。


看護師さんがモニターの説明をしてくれて、
小さな画面の中に、脈のふれを示す山は一つしかない。
脈拍も20を切っていた。
モニターの音は消してある。


カーテンの向こうにベッドがもう一つ。
認知症の高齢者だろう。
うめき声とか大きな独り言が聞こえる。


最期の時間。
このブログの最初の頃にも書いたと思う。
優しくできなかったこと、
乱暴な介護だったこと、
いつも悪いなと感じながらも、
その時々に謝ってしまったら
ココロが折れてしまうか、卑屈になって
もっともっと乱暴な介護になりそうで
謝るのは最後の一度にしようって
思ってきたから・・・
母の手を握って、至らなかったことを謝った。
それから必ず大阪に連れて帰るからってこと。



30分くらい経った頃、
モニターを見たら、0 になっていた。

きっと音がしてたら、ドラマのように

ピーーーーーー

って鳴ってたのかな。




止まってしまったんですか?

と聞いたら、



息はされていません

と。


この数日、最期の様子を知りたくていろんなブログを読んだ。
下顎呼吸とか、手足の変色とか。
当てはまることは一つもなかった。
手足は冷たかったけれど、肌が黄味がかっていたこと以外
母は眠るように、いや眠ったままいってしまったよう。



看護師さんは続けて、

このまま兄の到着を待つか、
医師から死亡宣告を受けるか
どうなさいますか?

と。
私が病室に着いてからずっと
看護師が一人後ろに立って見守っていて
兄の到着を待つと言ったら
やっぱりこのまま一緒に待っているのかしら?
なんてことも気になったりするし、
どうしたもんかと迷ったけれど、
先に進めることにした。


しばらくして医師がきて
死亡時刻は4時32分。


すぐ看護師さんたちの処置が始まって、


こんな痛い点滴はすぐ外しましょうね、

と足の点滴針を外してくれた。
反対の足の同じような場所も紫色のあとが残っていた。



そこから私は部屋の外にでて、
病室に残った少しの荷物をまとめて
控室で待った。



葬儀のことも兄と相談済だったし、
すぐに連絡するべき人もいないし、
ただ誰かに母がいってしまったと聞いてほしくて
スマホからこの時に記事を投稿した。




気づいたら朝の陽ざしが差し込んでいて
病棟が明るくなっていた。
夜の真っ暗な病棟は寂しいけれど
朝の陽ざしはいいなぁ。





明日はきっと晴れる。
ほら、晴れたでしょ?


この世での修行を終え、
老いや病、レビーから解放された母が
そう言ってるようでした。














[PR]

# by kissinheaven6002 | 2017-06-13 10:11 | ひとりごと。 | Comments(0)