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枯れるように。


先日、義父が旅立ちました。

3か月ほど前に、誤嚥性肺炎で入院し
そこから退院することはありませんでした。
享年89歳。


それまでは義兄家族と同居の家で
介護認定を受けることもなく、

”わしはもうあかん”

が口癖ながら、それなりにお元気に暮らしていらっしゃった。
病院で認定を受けた時は要介護5 だったらしい。


9年前に実父が亡くなった時は、もちろん母を介護する前だったし
私も若かった・・・
あの時の気持ちと、今回とでは随分と自分が変わったなぁと感じています。


少し前に、何の為に生きるのか? ということを考えなくなって
生きているという事実があるだけなんだと思うようになったと書きました。
そこから、母はゆっくりゆっくり、残酷過ぎるくらいゆっくりと
生きて来た人生を締めくくっているんだと考えるようになりました。


病気や事故ではなく、天寿を全うし、その生を終えるということでさえ
容易いことではないんだと、母を見ていて深く思います。


そして安らかに眠っている義父と対面したとき、
見事に枯れてその生を終えられたんだな・・・と。

もちろんヨメの私がそんなこと口にはできませんけど。

義父の姿は、個体としての活動を終え
すべてのものを使い果たしたように空っぽで
魂は天に帰っていかれたんだなぁと
そんなこと、初めて感じました。

それくらい、ご立派な旅立ちと、私は感じたわけです。


そして今、正しく階段を下り続ける母のことが重なり
妙に涙があふれてきて、困ってます。
母が向かう先の穏やかな姿。
だけどそこへ行くための、じわじわと奪われていく姿。
そんなことが交錯しています。


そしたら昨日、施設からの帰る途中、
前に通っていた小規模の、あの明るすぎるケアマネにバッタリ遭遇。
立ち話してたら涙出て来てしまって、タイヘンでした、私。


もっと母に優しくしてあげればよかった・・・
って、今の時点で後悔してる。
それなら、これから毎日通って優しくしてあげればいい
・・・それはちょっとムリ・・・
結局、昔も今もあんまり変わんないわがまま薄情娘です。


在宅で介護をしていた時も、
主介護者は孤独だとここにもしきりに書いていました。
今も、母のゆっくりゆっくり人生をしまう姿をたった一人で
見ているのはとても孤独です。
離れて暮らす兄とも分かち合えない気持ちです。

そういう意味で、疲れた義兄の姿が胸にきました・・・


そして、この介護ブログを読んでくださる方たちの方が
それぞれの孤独な気持ちを分かち合えるのかもしれませんね。



残された義母。まだまだ元気なアルツハイマーで
この先のことを想うとこれまた胸が痛い。

立派な父の祭壇。でも周囲の心配はろうそくの火。
義母からそれを奪ってしまうのはあまりに可哀そうだけれど、
火はコワいからなぁ。
古くて広い家なので、介護も難しいでしょう・・・



今日から3月なんですね~
また桜の季節がやってくる。
去年は母を少しだけ桜の下に連れ出したな。
今年も行けるかな。















by kissinheaven6002 | 2017-03-01 18:06 | ひとりごと。